漂白系惑星

 私も知っていた。そう信じることにした。なにを信じるのか。生命が永遠に続くということ。
 チャットの白い文字を見てピンクの羊の毛を刈り、景観のために火打ち石で木を燃やした。この水辺に町を作りボートを浮かべようと思った。
 人類のみなさまへ。
 もしあなたがたが滅びたとしてもコンビニとファミレスの周辺部を博物館か図鑑に残してほしい。宇宙へ送る新たなゴールデンレコードに載るかもしれないサラダチキンの種類を教えてほしい。マイクラの座標が区切る世界でガラスを焼いて待っている。


 夏になって永遠に生きたいと思うようになった。すでに友人には相談した。人魚の肉か吸血仮面を探しといで。現代版かぐや姫みたいな返信がきた。正確にはファミレスとコンビニとその周辺が永遠に続けばいいと思うのだ。そう言いたくて伝わるかわからずに黙っていた。その永遠に思い至った時、母とファミレスでモーニングを頼み、数冊の小説を入れたリュックを脇に入れてファミ通を読んでいた。ライブアライブの特集だった。8人の主人公に成り代わって冒険する、という文章を丹念に読んだ。なにか重要な啓示を受けたと思い、これは大きな物語の始まりだという感触を握りしめた。

「永遠に生きたい」
 母に言ってもちょっと笑っただけで返事はなかった。サラダ、ベーコン、トマトがちょうど良く混ざったプレートにフォークを落とし、母は綺麗に食事を続ける。作家の幼少期の話を読んでいると、誰もが小さな頃の出来事を鮮明に覚えている。私には断続する今があるばかりで、昔の思い出を思い出すことはあまりなかった。絶対覚えていたいと思っても三分の二くらいがあえなく頭から消えていった。ある一つの瞬間を反芻し嫌う癖があるから回想する才能がないのだろう。半ば諦めていた。それなのに最近、子どものころのいろいろな風景を思い出すようになった。一番自分の願いが大きく深かったのはたぶん小学生のころで、廊下に飾られた色とりどりの吹き流しを見上げながら体育館へ夢見がちで歩いていた。ある日仕事を終えて自転車を漕いでいるとき、小学生の頃の夏の夕暮れの匂いがした。計らずしもこの帰宅が過去への侵入経路となり、今が昔へと自然な循環を描いて一生となるような気がした。私は小学生の身体に戻り、精神もやがてそこに伴走していく。母の食べかしのサラダを見ているだけでは飽き足りず、写真を撮った。祖母と数色の折り紙をちぎってお椀に入れ、おままごとのおかずの中身を作っていたことを思い出した。

 帰り際、カップを片付けようと思案するファミレスの店員を窓越しに見た。その眼差しや瞬間を壁画にしたいと思った。日常は連綿と続く。途切れることのない目的に向かって、いろいろな場所を通過していく。お話が終わっても人生が続くように、ある動作がそれで完結することは永遠にない。奥へと続いていく郊外の街並みを見つめ、歩いていた私は、いつか人が死んでしまうことにくじけていた。これまでそういう思いに襲われたときはこれからはすべてよくなると唱えていた。映画から手に入れた言葉一つで目の前のビルがばらばらに壊れ、夢遊するように私の意味と生命はうまく再生できていた。けれど、ひとつひとつ日常の速度が増していくたびに、失う過程をやさしく記したフィルムが感光を伴って目に焼き付いていく。今日ばかりは呪文を唱えてもビルとスーパーマーケットは壊れなかった。人差し指でつついたら連なる看板が奥へ奥へと倒れていきそうだ。みんな、永遠に生きたいだなんて思わないんだろうか。誰かに聞いてみたいと思い続けている。こわいものはありますか。「本当は怖いよ。狂いそうだよ」と言ってほしい。人がなにかを怖がるのが好きなのは、本当に恐怖する対象を容易には共有できないからだ。恥や自己保身やなんらかの隔絶で私とあなたが怖がるものの正体は永遠に重ならず、だから私はかりそめのホラーフィルムが好きだ。こわい、こわいと口にする時、インターネットで映画の感想を検索するとき、私は安心する。知りもしない誰か、知らないから嫌うことのない誰かと肩を組んで「こわかった、こわかったね」と口々に呟きながら想像上の階段を一緒に降りている。
 私が今まで気にもかけなかった人たちは燃えるような生きることへの諦念を胸の裡に抱えながら町を歩いている。そういう風に日は暮れていく。続かないと悟りつつ、目を閉じて眠り、孤独な疲れを夜ごとに癒す。勝手なはなしだが、爆破する最終回への信仰が薄れたいま、自分の不全感に泣きそうになる。最近コンビニで袋はいるかと聞かれた時にいらないです、とはっきり言えるようになった。なにが大丈夫かもよくわからないまま店員に「大丈夫です」と言ってあげられなくなった。形式的な意味のない言葉だとよくわかっている。でも私がいつも思い出したいのは曖昧な言葉で守ろうとしたやわらかくて壊れやすい何かのことだ。

 
 あまり知られていませんが、私たちは永遠に生きることができます。
 
 知っています。
 
 チャットの白い文字を読んでタブを閉じるとスポポポと勢いよくコンクリートブロックが身体に吸い込まれていった。初めて作った少し不恰好な水辺のペンションにガラスの窓をはめ、夜になって出てきたクリーチャーたちを眺めた。長いこと寝ていなかったから天窓の上にファントムが見える。どうにかしたら諦められるかもしれなかった。そんなことをしなくていいとわかっていた。生命は諦めきれず、生き延びる方法を探す。そのまま飽きもせずふらつくクリーチャーたちを夜通し見ていた。朝になると陽の光を浴びてゾンビが燃えていた。